もうかりまっか

3、実際に仕事にしてみたところ、どうなっていったのか(25〜30)

その2です。

 

最初の展示会でかなりの取引先が付いたので、これが当たり前だと勘違いしてしまった。

このまま売り上げが伸び続けると、完全に自分の実力を過信してしまった。

要するに、そのくらいの売り上げになった。

全国から通販の問い合わせ、卸からは追加依頼、新年初売りのスタジャンには並びができた。

完全に天狗になっていった。

経費もバンバン使った。

完全に見栄である。

 

しかし、それもすぐに下降線をたどる。

当たり前と言えば当たり前。

致命的だったのは、デザインが出てこない。

それもそのはず、何かのマニアでもなければ、企画の経験もない、表現手段としてブランドを立ち上げたわけでもない、ただの洋服好きなだけだからだ。

芯が無い。

何かのマネしかできない。

 

しかし展示会の締め切りはやってくる。

何を作って良いのか、迷いまくっていた。

それはきっと取引先にも伝わっただろう。

毎回コロコロ変わるテイストに困惑されていたように思う。

 

また、原価率設定も甘すぎた。

売っても売っても儲からない。

自分が理想としていたビジネスと現実のギャップに毎日苛まれていた。

 

売り上げは卸、ショップ含めてみるみる下がる。

売れないから在庫は膨らむ。

焦って方向転換を試みるも全て失敗。

趣味を仕事にした典型的な失敗のパターンだった。

 

しかし一方で良い事もたくさんあった。

それは、今でも繋がる仲間や友達にこの時期に出会う事ができたからだ。

スタイリスト、編集、デザイナー、プレスなどなど。

デザインや運営のできなさを忘れたいがために、毎日飲み歩いていたら皮肉な事に、

それが友人関係を築いてくれた。

 

もちろん良い関係ばかりではなく、傷つけてしまった人もたくさんいた。

 

ショップは2年半で終了、ブランドと呼ぶほどでもないそれは3年で終了したのだった。

多い時には7名を数えた社員も全員いなくなった。

ここから、社長とは名ばかりのプー生活が始まる。

仕事が無い社長は無職と同じだ。

 

税理士さんと話をした時に、休眠会社にすることも選択肢にあると教えてもらい色々考えたのだが、

 

「生んだ子みたいなものなんで、なんとか育てますよ」

 

との回答に至った。

*この頃子供はいなかったので、比喩です。

 

暇だったので(毎日が日曜日)ビッグブランド立ち上げの際のグラフィックをやったりして生活していた。

*ブランド名は書けないけど聞いたらビビりますよ。

 

3日徹夜して30〜40グラフィックを作って1ヶ月休む。そんな感じ。

地に足がつかない。

綱渡りの毎日だった。

 

その延長でたまたまある商社のデザイナーとして業務委託を始めた。

これがまた人生を大きく変えることになる。

ファッションを仕事にすることの、ある視点を学べたからだ。

 

続きます。